文化の丁字路「新潟」で 花街文化が花ひらく

文化の丁字路「新潟」で 花街文化が花ひらく


江戸時代、北前船が西から、三国街道が東から、人や物だけでなく、さまざまな文化を新潟に運んできました。これらの文化は融合し、もてなしの文化として花開きます。その象徴的なものが、古町芸妓に代表される花街文化でした。

新潟市歴史博物館みなとぴあ蔵

江戸時代、大阪と北海道を結び、米を中心に物資を運んだ北前船。佐渡金山の金銀を最短距離で江戸に運ぶために整備された三国街道。その2本が交わる新潟は、当時の経済基盤を支える「米」と「金」の流通拠点として、たいへんなにぎわいを見せていました。

「江戸から明治にかけて、新潟は経済の交流点であり、文化が豊かな地域でした。明治26年の新潟県の人口は166万人で、全国1位という記録が残っているほどです」と語るのは、「文化の丁字路」の名付け親の一人、にいがた文化の記憶館副館長の武藤斌(むとうあきら)さん。

鍋茶屋提供

新潟には上方や江戸から商人が集まり、地元では豪農・豪商が繁栄した時代です。そうした人々の交流やもてなしの場として大きな役割を果たしたのが、古町に代表される花街です。客人たちをどうもてなすか。花街は工夫を重ね、発展していきます。

 

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新潟文化物語