日本人の原点に出会える伝説の読み方 「伊夜日子大神伝説」

日本人の原点に出会える伝説の読み方 「伊夜日子大神伝説」


弥彦エリアには40を超える伝説があり、そのほとんどが伊夜日子大神(いやひこおおかみ)・天香山命(あめのかごやまのみこと)に関連するものです。天香山命は天照大御神のひ孫にあたり、日本を建国した神武天皇の勅命で、越の国を平定するために大和からやって来ました。各地に伝わる伝説は、実話かどうかは証明できませんが、時代が変遷しても人々に語り継がれてきた伝説には、日本人らしさや不変の法則みたいなものが隠れているようです。

長岡市寺泊に上陸した天香山命は、悪さをする海賊を成敗し、武器を集めて野に積みました。それからその地を「野積」と言うようになりました。天香山命は越の国平定を果たすため、野積から弥彦山を登り、現在の弥彦村大字弥彦にたどり着きました。この地を拠点とし平定します。そして後に伊夜日子大神として彌彦神社に祀られます。

野積には『八百比丘尼』伝説があります。「この松が生きている限り私はどこかの地できっと生きている」と言い残した八百比丘尼による手植えの松は、今でも青々として残っています。伝説は伝説。真実かどうかではなく、その中には不変があり、みんなで助け合って生きようという人々の思いがこもっています。

天香山命は、最初から武力を使って相手を滅ぼさず、まずは相手と話す。これを「言向け和す(ことむけやわす)」と言います。日本人は古代より「言向け和す」に従い、調和を重んじる精神的に成熟した民族なのです。日本人はハッキリとものを言わないと揶揄されますが、相手を深く思いやることで言葉にせずとも察し合う、独特のコミュニケーションが発達したのです。

 

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新潟文化物語