巨万の富を築いた男・吉澤仁太郎が夢見た 鏝絵蔵のワンダーランド

巨万の富を築いた男・吉澤仁太郎が夢見た 鏝絵蔵のワンダーランド


長岡市の摂田屋(せったや)は、古くから日本酒や味噌、しょうゆの蔵元が集まる醸造の町として知られています。中でもひときわ目を引くのが、漆喰(しっくい)を塗り重ね、立体的な模様を描いた「機那(きな)サフラン酒本舗」の鏝絵蔵(こてえぐら)。これを手掛け、誕生させたのが、本舗の創業者・吉澤仁太郎(よしざわにたろう)です。

吉澤仁太郎は、文久3年(1863)古志郡(現・長岡市)に生まれました。17歳から薬種屋で働き、そこで得た知識を活かして、21歳の時に薬用酒「機那サフラン酒」を考案、販売。後に、ワインやウイスキーも手掛け、商品を大ヒットさせ、巨万の富を築きます。

 

飛行機からビラをまいたり、屋根の上から小判をまいたり、仁太郎は型破りの宣伝マンでもありました。とにかく豪快。店舗正面脇に設置された木製の大看板は、高さが12メートルもあったそうです。

 

「機那サフラン酒本舗の商品が大ヒットしたのには、3つの理由がありました・・・」。三代目吉澤仁太郎の三男で、現在リキュールとして「機那サフラン酒」を製造・販売している新潟銘醸の吉澤義孝さんが語ります。

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新潟文化物語