いま、下町(しも)めぐりを薦める3つの理由③ 日和山五合目館長・野内氏インタビュー

いま、下町(しも)めぐりを薦める3つの理由③ 日和山五合目館長・野内氏インタビュー


冬ではありますが、いま、新潟市の下町めぐりがオススメです。市内はこの時期にしては珍しい積雪量でびっくりですが、足元がよくなったらぜひどうぞ。

さて、おすすめの理由です。
理由①  旧小澤家住宅で灯籠・こま犬の写真展を6日(土)から開催(記事はこちら
理由② 旧齋藤家別邸で回船問屋のダンナ衆の書画を展示中(記事はこちら
そして理由③ カフェ&資料館&休憩スポット「日和山五合目」が完成、周辺の物語がグッドデザイン賞2014を受賞しました。

一昨日、昨日と下町情報を紹介しましたが、ゴールは日和山です。北前船ゆかりの三カ所を巡ると新潟市、新潟湊のことがちょっと見えてくるはず。地元再発見のチャンスですよ。

日和山が“好き過ぎて”このような建物「日和山五合目」を作ってしまった館長の野内隆裕さんのインタビューを掲載します。この記事の続きです。

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小路めぐりマップシリーズを作った人でもあります。

日和山五合目12

新潟市との共同制作で作った小路めぐりマップシリーズ。

野内さんはいま、全国の町づくりイベントなどで引っ張りだこ。新潟市の先駆者として、パネリストに招かれています。個人の趣味で町の情報発信をするうちに、つながりと活動が広がり、仲間との一連の取り組みが評価されて2013・2014年と2年連続でグッドデザイン賞を受賞しています。

日和山を中心に、お話をうかがいました。

地元ではなく、東京の人がこの場所の重要性を説いていた

江戸から明治時代にかけて、全国に物資を運んだ“動く総合商社”こと北前船。その船出のための日和を見た山が日和山。今でもここ、新潟市東堀通十三番町に標高12.3メートルの山が残ります。

「きっかけは、南波松太郎さんの『日和山』という本でした。全国に80カ所以上の日和山があるんですが、その中に自分の家の近所が出ている。しかも巻頭でたっぷり紹介されているんですね。その上、東京の人、外の人が、新潟のこの場所の重要性をも説いていたんです。なぜ、地元では関心がないのか不思議に感じました」

下町生まれの野内さんは、日和山について調べました。

「伊藤家の人たちが世襲で伊藤仁太郎の名前を継ぎながら、ここで海を見て水先案内(水戸教)をしていたんですが、砂丘が広がるうちに海が遠くなり、見えなくなってしまったんです。
いま、みなとトンネルの近くに水戸教公園がありますが、あそこに業務を移して引っ越した。その時に、(伊藤家の)屋敷の中で祭ってきた住吉様を置いていったんです」
それが山頂の住吉神社。明治時代には、日和山は新潟を眺望できるスポットして新たな賑わいを見せたものの、時の流れとともに荒廃していきました。

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’97年から下町の魅力を紹介するホームページ「なじらねっと」を始めていた野内さんは、有志らと西堀通の寺に注目する「寺町からの会」を結成し、同会で2000年から日和山も盛り上げる活動を始めました。

「住吉神社の管理は開運稲荷神社の宮司さんがされているんですが、代々この場所を大切にするように伝えられて来たようですね。いったん途絶えたという神社の祭りも、昭和42年に復活されていました。
宮司さんもこちらを手伝ってくれるようになりました。小路めぐりマップを新潟市とやっているうちに、やがて市の方でも日和山を整備しようという話になったんです。マップ同様、官民一緒の取り組みです。『寺町』をいっしょにやっていた新潟大学の岩佐先生に日和山の設計をしてもらうことになりました。人が集まりやすい場所にしようと。お神楽とか、お祭りもできるように」

今のこの姿は、そんな14年間の活動の積み重なりによるものです。

大切なのは続けること。物語はいまも継続中

グッドデザイン賞は、日和山を再生させてさらにいま、まだ進化している、皆で手作りで作ってきた物語なんですというところを評価してもらいました。作って終わりではなく、これからもずっとやって行くことが大事だと思ってます。」

賞を取って良かったのは、マップを印刷してもらいやすくなったこと(印刷は市の予算のため)。
「あと、このマップに載っている町の人たちに、『他者から評価されているんですよ』と言えることですね」。

観光地として見たとき、「何もない」と言わることが多い新潟。そんな中、「あるもの探し」を続けてきた野内さんらしい実感です。

続きます。

※12月20日(土)に、新潟市第2回まちづくり講座が行われます

(GATAポスト編集・早見正明)

 

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日和山五合目14