新潟発の大道芸から誕生した歌舞伎の演目「越後獅子」

新潟発の大道芸から誕生した歌舞伎の演目「越後獅子」


獅子の頭(かしら)をかぶった子どもたちが、軽やかに舞う角兵衛獅子。新潟市南区月潟で行われる「月潟まつり」や「月潟大道芸フェスティバル」で見られるおなじみの光景です。

江戸時代、角兵衛獅子は月潟を拠点に全国各地を巡り、踊りや軽業を披露し、大道芸として大変な人気を博していたそうです。これに目を付けたのが、当時の歌舞伎界で一、二を争う人気役者だった三世中村歌右衛門。ライバル三世坂東三津五郎が踊った七変化への対抗策として、歌舞伎の演目「越後獅子」が誕生、その振り付けを担当したのが、市山流宗家なのです。

「子どもらしい動きと大人っぽい表現を共存させながら、変化に富んでいるのが越後獅子の魅力ですね」と語るのは、新潟市を拠点に日本舞踊を教えている市山流宗家の市山七十世(なそよ)さん。2月に七代目市山七十郎(なそろう)の襲名を控えており、稽古場でお話を伺いました。

七十世さんが見せてくれた歌舞伎「越後獅子」初演時(1811年)の番付。現代にも通じる役者の出で立ちを見ると、歌舞伎が伝統芸能ということを実感させられます。さらに、よく見ると・・・

 

詳しい記事はこちらで読むことができます。ぜひご覧ください。

新潟文化物語