花火「白菊」は、復興と平和の象徴・長岡市水道タンクと合わせて見る。
三尺玉や復興祈願花火フェニックスなど、多くの人たちの感動を呼ぶ長岡花火。
ノンフィクション単行本「白菊-shiragiku-」(小学館)が発売され、雑誌「サライ」の花火特集号の表紙を飾るなど、昨今、「白菊」が注目を集めています。
昨年も訪れた水道公園を訪ね、今年は内部を見学させてもらいました。
実は内部は、申し込めば案内してもらえるのです。
8月1日。
水道タンク友の会・会長の小林善雄さんにガイドをお願いしました。
この日のちょうど70年前、戦争中の昭和20年(1945)8月1日。焼夷(しょうい)弾が投下されて長岡の町は焼け野原となり、1,485人もの人々が亡くなりました。
しかし。市民は翌年に早くも祭を復活させ、さらにその翌年に花火大会を開催しました。現在の長岡まつりはつまり、復興祭だったのです。
いま、水道公園として整備されている旧中島浄水場の跡地には、戦火のなか焼け残った貴重な建物が保存されています。
周辺にも焼夷弾が投下され、「木造の建物は焼けましたが、鉄筋コンクリートの部分は残ったんです」と小林さん。
一帯は、映画「この空の花-長岡花火物語」やAKB48「So long!」のミュージックビデオのロケ地にもなりました。
ここは戦前に伏流水をくみ上げていたポンプ室の地下部分。戦後は裏手の信濃川からくみ上げるようになりました。
予備発電機室棟です。屋根の色が変わっている部分は、焼夷弾が突き抜けた跡です。戦争が本当にあったことを伝える、貴重な建物であることが分かります。
「模型ではない本物の歴史の足跡がここにあります。多くの方に見ていただきたいですね」(小林さん)。
さらに詳しいリポートはこちらでご覧頂けます。
新潟文化物語
さて、この日は夕方から、まちなかキャンパス長岡でトークイベントが行われました。「白菊-shiragiku- 伝説の花火師・嘉瀬誠次が捧げた鎮魂の花」を著した、長岡市出身の山崎まゆみさんが講師です。
昨年もお世話になったブックスはせがわの長谷川さんからお誘いを受け、参加しました。
同書は、長岡花火を上げてきた花火師、嘉瀬誠次さんの半生と長岡花火の原点を描いた作品。
「白菊」はもともと、戦争とシベリア抑留体験を持つ嘉瀬さんが、亡くなった戦友たちに手向けた鎮魂の花火。それが、復興祭の意味を持つ長岡まつりでも上げられるようになったのです。
「いま、私たちが笑顔で毎日を過ごすことができるのは、戦争を体験された皆さんのご苦労があってのことだと感じます」と、山崎さん。
また、素顔の嘉瀬さんは「ブラックユーモアが好きな一方、ロマンチストです」とも。「いつも、『花火で皆を驚かしてやろう』って考えてこられたんです」。
「白菊-shiragiku-」は、長岡花火の感動の源に迫った力作です。
イベント会場の外では、既に大民踊流しが始まっていました。
やや複雑な踊りの型は、どこか武道を思わせます。市街はかつて城下町だったからでしょうか。
実際、長岡の甚句には、藩士たちが勇ましく歌った「家中節」が存在したそうです。この辺、研究すると面白そうです。
そして、22時30分。空襲が始まった同日同時刻に上がる白菊を観賞しました。(8月2日・3日の大花火大会の最初にも白菊は上がります)
戦後70年の節目となる今年。
「平和」について、改めて考える1日となりました。
(GATAポスト編集・早見正明)