指名後会見詳報 プロ野球ドラフト会議 日本文理・飯塚悟史投手は横浜DeNAが7位で指名~「目標にされる選手になりたい」

指名後会見詳報 プロ野球ドラフト会議 日本文理・飯塚悟史投手は横浜DeNAが7位で指名~「目標にされる選手になりたい」


プロ野球ドラフト会議が10月23日に行われ、夏の甲子園ベスト4の日本文理・飯塚悟史投手は横浜DeNAベイスターズに7位で指名された。指名直後に会見が行われ、喜びを語った。
(以下会見から抜粋)

横浜指名メーン1R

――今の気持ちは。
「自分を選んでもらって、やっとプロのスタートに立てるんだと、すごくうれしい気持ちです」
――(指名があるまで)2時間以上待ち続けましたが。
「ドキドキして、まだかまだか、という気持ちで待っていました。選んでもらえて本当にうれしかったです」
――不安も少しありましたか。もしかしたら…(指名がないのでは)という。
「『もしかしたら』とも考えていました。自分を必要としてもらえて本当にうれしかったです」
――自分の名前が出たとき、最初にどんなことを考えましたか。
「チームがどこであろうと、プロの世界を目指してやってきたので、名前が呼ばれてホッとしました」
――横浜DeNAベイスターズにはどんな印象がありますか。
「中畑監督さんをはじめ、すごくいいチームだと思います。そのチームで自分が必要とされるように頑張っていきたいと思います」
――チームメートとともに指名を待っているとき、全国の舞台で戦った選手の名前が(先に指名されて)たくさん出てきました。どんなふうに思いましたか。
「一緒に戦った仲間たちが名前を呼ばれていったので、すごく親近感が沸いたというか。自分は(指名は)まだかな、という気持ちで待っていました」
――これから同じ土俵に上がることになります。
「またこの(プロの)舞台で競い合えるんだと思うと、すごく楽しみでしょうがないです」
――最初に誰に、どのように伝えますか。
「しっかりと自分の口からお父さん、お母さんに言いたいです」
――大井監督へ。長い時間待ちましたが。
「本当にホッとしました。本人と進路について話し合ったときから、プロ1本で行きたいと。両親も賛成してくれていると。私も『おまえの意向に沿って、大学や社会人からたくさん誘いがあったがお断りする。それでいいんだな』と、確認しました。どうしてもプロに行きたいという思いが通じたのでしょう。監督としてもうれしいですね」
――日本文理から横浜へ選手を送り出すのは初めてになります。
「高橋洸(現巨人)のときも、横浜さんから指名すると連絡があったので、当然、そうだと思っていたのでね(笑)。でも、巨人が指名して。何か縁があったのかもしれません」
――7位という順位については。
「これは球団の思惑がありますから。ただ、入れば横一線です。1位も7位もないです。これからは本人の努力です。私はこの子はやれると思っているから」
――飯塚選手へ。どんな選手になりたいですか。
「いろいろな人から応援されて、目標とされる選手になりたいです」
――投手1本という気持ちは変わらないですか。
「投手1本でやりたいと思っています」
――大井監督へ。飯塚投手がプロで成長するためのアドバイスを、なにか。
「体力的にまだまだ。背は高いが体が細い。時間をかけて、私は3年目くらいに出てきてくれればいいと思っています。それまでにもっと体力をつけて。あと5、6キロ体重を増やせば、必ずやれると思っています」
――飯塚選手へ。これからの意気込みをお願いします。
「プロのスタートラインに立ったので、これからまた努力をして、第一線で投げられるように頑張りたいです」
――新潟県内の応援している皆さんに、決意を。
「新潟県出身として、いろいろな人に夢や希望を与えられるように、プロの世界で活躍している姿を見せられたらいいなと思います」
――目標にする投手は。
「自分が、目標とされる選手になりたいと思っています」
――プロへの思いはいつから持っていて、それがどのように変化していったのですか。また、野球人生の中で、これまで挫折や苦しい思いしたことはありましたか。
「プロは小学生の頃からの夢でした。高校に入って、本当に目指す場所になってきました。センバツや夏の甲子園を経験して、『本当に目指していいところなんだな』と思えるようになりました。それでプロ志望届けを出させてもらいました。挫折は高校に入ってから思うようなピッチングができず、大量失点をして負けてしまったり。大事な試合を自分のせいで落としてしまって。まだまだ通用しないなと思わされました」
――辛い時期に自分を支えたものは。
「野球が好きだったということです。それがあったので努力して来られたと思います。野球をずっと好きだったことがよかったです」
――常々勝てる投手になることを目標にしていましたが、今度はプロで150キロを投げるなどの目標はありますか。
「勝てる投手を基本に、そこから決め球を増やしていかなければならないと思うので、自信のある球種を持てるように、練習していきたいです」
――ここまで支えてくださったご両親に、気持ちを伝えてください。
「高校から寮に入って、親元を離れて野球をやらせてもらいました。『どんなことがあっても味方だよ』と言ってもらって、それがずっと支えでした。これからは自分が活躍して、いい思いをさせてあげられるように頑張りたいと思います」

☆いいづか・さとし●1996年10月11日生まれ。上越市出身。6歳のときに直江津ガンバーズで野球を始める。直江津中3年では新潟県選抜のメンバーとして、Kボール全国大会準優勝。日本文理では1年夏からベンチ入り。2年夏に甲子園出場。昨秋の明治神宮大会で準優勝。今春のセンバツは初戦敗退。今夏の甲子園、10月の長崎国体でベスト4進出。186センチ、83キロ。右投げ左打ち。

横浜指名メーン3R