歴史ロマン 出雲崎宮大工の仕事に注目
「出雲崎」という地名に出雲・島根とのつながりを感じ、古代ロマンに想いを巡らせたりしていましたが、出雲崎には江戸時代を中心に宮大工集団が存在していたとは。
あまり知られていませんが、県内各地の社寺などに多数残っている棟札から、出雲崎大工が広く活躍したことが分かっています。
「雲太・和二・京三 (うんた・わに・きょうさん)」の言葉を思い出します。
雲太は出雲大社、和二は東大寺大仏殿、京三は平安京大極殿を指し、平安時代の「口遊(くちずさみ)」という本に書かれたもので、当時の建物の1番、2番、3番を表したもの。
出雲大社は、巨大神殿だったとの言い伝えがあり、そうなると当然、高度な建築技術があったと考えられます。
出雲と出雲崎の地名、出雲の巨大神殿と出雲崎の宮大工集団。何か関係があるのでしょうか・・・?
想像、妄想がふくらみます。
古代とのつながりは分かりませんが、江戸時代の出雲崎大工の仕事が、新潟県内各地に残っています。
南魚沼市の雲洞庵、新潟市西蒲区岩室の種月寺など、立派な建物のお寺です。
出雲崎大工には小黒姓の棟梁が多かったようです。
さて、出雲の大国主は「だいこく」と読めることから、大黒天、大黒様と習合していいきました。
出雲の「大黒」様と、出雲崎の「小黒」姓。何か、あやかったのでしょうか。
妄想しすぎかも知れませんが、歴史は面白いですね。
出雲崎の宮大工集団と新潟の社寺建築の話は、こちらでも詳しく紹介されています。
新潟文化物語
(GATAポスト編集・早見正明)