北前船の隆盛を現代に伝える。船絵馬の宝庫「胎内・桃崎浜」 

北前船の隆盛を現代に伝える。船絵馬の宝庫「胎内・桃崎浜」 


江戸時代半ばから明治30年代にかけて、大阪と北海道を結んだ北前船。越後平野の北側を横断し、日本海に注ぐ荒川の河口には、桃崎浜、塩谷、海老江の3つの地域があり、北前船の寄港地として栄え、荒川三湊(あらかわさんそう)と呼ばれていました。

胎内市教育委員会提供

 

荒川の左岸、胎内市桃崎浜の高台に建つ荒川神社。目と鼻が付いたような独特の意匠の屋根が、海岸線と集落を見下ろしています。かつて、この神社の拝殿には、船主や船頭が所有する船を腕利きの絵師に描かせて奉納した、数多くの船絵馬が飾られていました。

江戸時代後期から明治時代前半にかけて、桃崎浜には大小含め30軒の廻船問屋がありました。船絵馬の中には、数隻の北前船を有し、海運で隆盛を誇った藤木家が奉納した10枚の船絵馬も含まれているそうです。

全国に多数あった船絵馬ですが、時代の変遷とともにその存在が忘れられ、徐々に失われていきます。一方、胎内市では昭和43年(1968)に地域の船絵馬の調査に着手。胎内市全体で182枚もの船絵馬が存在することが判明。保存活動に取り組んできました。令和となった今もその活動は続いています。「何しろ量が多くて・・・」と、藤木家九代目当主の藤木康市さんは語ります。

 

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