鰊(ニシン)や昆布だけじゃない。 北前船は、新潟に何をもたらした?

鰊(ニシン)や昆布だけじゃない。 北前船は、新潟に何をもたらした?


江戸時代半ばから明治30年代にかけて、大阪と北海道を結んだ北前船。越後・佐渡には、新潟をはじめ小木や寺泊など多くの寄港地があり、各地で独特の産業や文化が誕生しました。

独特の町並みが観光客に人気の佐渡・宿根木は、北前船の時代、造船業で発展。佐渡国小木民族博物館には、この地で1858年に建造された北前船「幸栄丸」を、当時の設計図「板図」を元に実物大に復元した「白山丸」が展示されています。この大きさの復元船は希少。必見の価値があります。

越後を代表する北前船の船主の一人・伊藤助右衛門。彼らは一航海で千両、現在の価値で1億円もの利益を生み出し、その10%が、乗組員たちに分配されました。「貯金をして、いずれは自分の船を・・・」。厳しく、危険と隣合わせの仕事にもかかわらず、乗組員を希望する人たちが船主の下に集まった理由が、ここにあります。

北前船が往来する時代、新潟湊は有力な寄港地として栄えました。「船頭などをもてなしていく中で、新潟でのもてなしの文化が培われていきました」と、新潟市歴史博物館 みなとぴあの若崎敦朗さんは言います。

 

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新潟文化物語