【新潟・アスリートブック】 『20年』をステップとして~女子プロレス・里村明衣子

【新潟・アスリートブック】 『20年』をステップとして~女子プロレス・里村明衣子


里村メーン リサイズ1

アントニオ猪木氏が主宰し、北朝鮮・平壌で8月30、31日に開催されたプロレスイベント「インターナショナル・プロレスリング・フェスティバルin平壌」に女子プロレス・センダイガールズの里村明衣子が参戦した。

平壌大会参戦は、猪木サイドからのオファーでもあった。「プロレス界に入って、会いたいと思っていた方が3人いたんです。小橋建太さん、馳浩さん、そして猪木さん。やっと猪木さんと会える機会に恵まれました」。新潟市の黒埼中学を卒業後、旗揚げしたばかりの「GAEAジャパン」に入門してレスラー生活をスタート。それから20年。猪木氏との初対面は、女子プロレス界のトップとして認められた証しだった。

その雄姿を故郷で披露する。9月28日にはセンダイガールズ佐渡大会(会場・相川町民体育館)、10月18日には新潟大会(会場・新潟市体育館)を開催。新潟大会にはアジャ・コング、ダンプ松本、豊田真奈美らビッグネームが参戦する。「新潟はレスラーたちが『出たい』と言ってくれる土地なんです。観客の皆さんが盛り上げてくださって。本当に感謝しています」。元々プロレス熱の高い土地。ただ、人気レスラーたちが出場を希望し、オファーを快諾するのは、里村の人望の厚さからでもある。

2005年にGAEAジャパン解散後、翌年、センダイガールズを立ち上げた。3年前に代表に就任。代表、団体のメーンレスラー、そして広報として休む間もなく活動する。ワンボックスカーに乗り込み、1人で各地の開催PR行脚。丁寧ではきはきとした語り口と、礼儀正しさから、行き先々で好感を持たれている。何より、デビュー以来貫いてきた闘志をむき出しにした手抜きのないスタイルは、観客にもレスラーたちにも、強いインパクトを与え続けてきた。

「20年、プロレスに捧げてきた感じですね」。05年には椎間板ヘルニア、07年には眼窩底骨折で長期離脱した。157センチの体を、今も酷使し続けている。それでも「まだ体は動きますし、メーンも張れますから」。なによりも「今は楽しみが多いんです」と充実感がある。

代表になり、これまで以上に営業に回ることで、各地にネットワークが築かれていく実感を得た。試合の現場から一歩引いた役でもある分、後輩レスラーの成長ぶりが以前より目に入る。それがうれしかった。「プロレスが心の底から好きなんだなと、あらためて思っています」。

来年はデビュー20年を迎える。区切りを付けようという思いは当然、持っていない。むしろ「2020年までには武道館でセンダイガールズの興業を開催したいんです」という目標がある。積み重ねてきた実績と、女子プロレスをけん引する立場としての自覚が、自然と視線を上に向けさせる。「両親は『早く結婚してくれ』と言うんですけどね」と苦笑いした。
(斎)