糸魚川の翡翠は、縄文時代にすでに全国へ広まっていました。

糸魚川の翡翠は、縄文時代にすでに全国へ広まっていました。


令和4年(2022)11月に新潟県の「県の石」に指定された翡翠(ひすい)。「県の石」指定に向けては、産地である糸魚川より要望があがり実現となりました。糸魚川駅前に勾玉のオブジェがあるように、糸魚川市民にとって大きな誇りとなっている翡翠は、新潟県にとっても貴重な資源として全国に誇るべき宝です。

糸魚川市のヒスイ海岸では、平日でも海岸で翡翠を探す人の姿が見られ、運が良ければ本物の翡翠が見つかるかもしれません。縄文時代以降も含めると新潟県内で糸魚川の翡翠が発見された遺跡の数は百カ所を超え、縄文時代にはすでに全国へ広まっていたとされています。

世界最古の翡翠製の敲石(たたきいし)/長者ケ原考古館展示。縄文時代、硬い翡翠ははじめ、石斧(せきふ)を作る道具として利用され、その後装飾品として加工されるようになったとされています。長者ケ原遺跡をはじめ糸魚川周辺の地域は、翡翠の装飾品の一大生産地だったと考えられています。

長岡市の馬高縄文館では、11月26日(土)から始まる企画展で、長岡市周辺で発見された糸魚川産の翡翠を一同に展示する予定です(写真は展示を待つ翡翠の数々)。「県の石」指定に合わせ、新潟県内では、県立歴史博物館や県立自然科学館をはじめ翡翠をテーマにした展示や企画を開催する施設があります。

青森県・三内丸山遺跡で出土した翡翠のレプリカ/長者ケ原考古館展示。縄文時代、糸魚川の翡翠は、北は北海道・礼文島、南は沖縄本島まで渡っていたといわれています。輸送技術の乏しい縄文時代に、全国へと渡っていた糸魚川の翡翠。詳しい記事はこちらで読むことができます。ぜひご覧ください。

新潟文化物語