工場夜景だけじゃない! 川の街道・通船川には、大きな使命があった。

工場夜景だけじゃない! 川の街道・通船川には、大きな使命があった。


新潟県を流れる2つの大河・信濃川と阿賀野川を結ぶ通船川(新潟市)は、江戸時代から舟運が盛んで、明治時代には「川の街道」と呼ばれ、多くの船が行き交っていました。

昭和になると製材工場や各種工場が立ち並び、一帯は産業の集積地に。最近では、工場夜景が楽しめる場所として注目を集めています。江戸時代から舟運が盛んだった通船川は、明治・大正になると河川蒸気船が行き来して通行量はさらに増大。昭和30年代には川沿いに2つの県営貯木場が造られて、南洋材の集積港であった新潟西港から多くの木材が筏に組まれ、貯木場に運ばれました。

「物資の輸送が主だった通船川の役割が大きく変わったのは、昭和39年(1964)に発生したマグニチュード7.5の新潟地震の影響が強いですね」と語るのは、通船川の歴史に詳しい山岸俊男さん。堤防が決壊、流域のゼロメートル地帯に河川の水が流れ込んで多くの家々が浸水、水没するなどの被害を受けたそうです。

復旧工事では、流域の抜本的な水害対策がなされました。そして建設されたのが、山の下閘門排水機場です。円形門扉が左右に開く姿は迫力があり、全国に3カ所でしか見ることができません。

 

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新潟文化物語