北前船の寄港地として栄えた二つの湊町、寺泊と出雲崎の今昔物語

北前船の寄港地として栄えた二つの湊町、寺泊と出雲崎の今昔物語


北前船の寄港地であった寺泊と出雲崎は、その距離わずか15㎞ほど。風景は似ているようでも、北前船が往来する町として歩んだ道は異なります。それぞれの湊の歴史を紐解きます/上部画像:白山媛神社所蔵船絵馬

 

寺泊は、江戸時代の中頃から明治時代初めにかけて北前船の寄港地として栄えました。北前船が求める米が豊富に入手できたからです。江戸時代の文化・文政期には年間10万俵が出荷されたという記録も残っています/画像:寺泊郷土史家 柳下明也さん所蔵資料

北前船の当時の様子を今に伝えてくれるのが「船絵馬」。船主や船頭が航行の安全を祈願して持船を絵師に描かせ、神社や寺に奉納するものです。寺泊の曹洞宗・円福寺には、暴風雨に遭いながら無事に帰還したことを神仏に感謝して奉納された、全国でも珍しい「遭難絵馬」が残されています。

北前船が往来していた時代には2万人が暮らし、人口密度は越後一とも言われていた出雲崎。多くの人が居住でき、節税のために間口を狭くして奥行きを長くした妻入りの家屋が軒を連ねました。約4㎞にわたって妻入りの家屋が続く独特の街並みは、令和の今も面影をとどめています。

寺泊と出雲崎には、北前船を係留していた「舟つなぎ石」が保存されています。二つの寄港地の北前船の面影は、ひっそりと町に伝えられています。北前船が往来していた歴史に思いをはせ、湊町の風情を楽しみながら二つの町を歩いてみませんか。

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