【ボタニカル】調子に乗ってもう1本、時代背景を探るだいご味

【ボタニカル】調子に乗ってもう1本、時代背景を探るだいご味


地域を深掘りするGATAポスト、月潟の類産ナシでもうちょい話を探ってみます。

まず、この原木が入ってきた文化年間ってどんな時代?

西暦では1804年から1818年まで、江戸幕府将軍は徳川家斉でした。江戸時代後期、文化に続く文政年間も含め、町人文化が発展した時期です。

十返舎一九の『東海道中膝栗毛』がヒットしたのが、この頃。十返舎一九は文化11年(1814年)に現上越市の高田を訪れて名物の粟飴を口にしています。

ちなみに越後が生んだスーパースター、良寛さんは五合庵に住み暮らしていた頃です。

庶民の間に文化や教養が広がりつつある時代だったようですね。人、文化、モノの交流が盛んだった様子が想像できます。

きっとさまざまな花粉が、各地に伝播していったことでしょう。

14類産梨_春02

さて月潟がある南区のお隣、秋葉区(旧新津市)は、古くから園芸植物の生産が盛んな地として知られています。

明和年間(1764年~1771年)にサザンカ、ボケ、キンモクセイなどの栽培を始め、行商を行ったのが花き園芸の始まりとか。※秋葉区ホームページ

周辺の小須戸、白根、月潟など一帯も、花きや果樹の栽培が盛んになって行きます。背景には、ひとたび信濃川や中之口川が氾濫すると稲作は大打撃を受けるため、川沿いの地域では水害に強い果樹を選び生産を伸ばしていったという、事情があるようです。

この原木は、そんな歴史を生き抜いて来た貴重な証人ということになりますね。もしかしたら、良寛さんにも出会っていたかもと、妄想するとちょっと楽しい歴史深掘りでした。

 

(早見正明)