歴史は600年以上、先人の技を受け継ぐ鋳物の世界 始動した柏崎ふるさと応縁基金を追う第2弾
柏崎に、なんと600年以上も続く鋳物の文化があったとは、恥ずかしながら知りませんでした。
ふるさと納税を通じて、広く伝わることを願います。
柏崎のふるさと応縁基金、第2弾です。
プロジェクトチームの柏崎市総合企画部企画政策課・今井さんにお願いして、今回もお礼品にラインナップされている商品の『産地』を訪ねました。
大久保鋳物として伝わる四代晴雲 原惣右エ門 工房です。
ここは柏崎市大久保。いい感じの家並みです。
古くは『大窪』と記したとか。大久保の地に伝わる鋳物だから大久保鋳物です。
「南北朝時代に、関西から鋳物師たちがこの場所に移り住んだと言われています」
そう語るのは、原聡さん。
宮中に調度品を納めていた技術者集団が、この地で鋳物を作ったのが大久保鋳物の始まりとされています。
古い歴史です。
全盛期の江戸時代にはお寺の梵鐘や、塩釜などを数多く手がけたとか。県内に大久保の鋳物が遺されているはずながら、詳しい調査はされていないとのこと。
これは調べると、おもしろそうです。
「歴史の中で、鍋や釜を作った時代が長かったようです。大久保鋳物としては20代目、蝋型鋳金としては四代続いていることになります」と聡さんの奥さんの嘉子さん。聡さんは五代目ということに。
江戸時代末期になると、時代の移り変わりとともに鋳物の需要が減少します。そんな中、こちらの原家では生活用具から美術工芸の鋳物へと舵切りを行いました。その際に取り入れたのが、蝋型鋳金の技術。
蝋型鋳金は、蜜蝋と松脂を混ぜ合わせた蝋で原型を作り、それを土で覆って鋳型を作るもの。柔らかい蝋を素材にするため、繊細な模様を描けるのが特徴です。
蝋型鋳金なら知っています。佐渡の人間国宝・佐々木象堂(故人)の作品を見たことがあります。
「当家の師匠にあたるのが原得斎。その兄・琢斎は大砲を作る仕事で佐渡に呼ばれて本間家に婿入りしたんです。佐渡に蝋型鋳金の技術を伝え、佐々木象堂もその流れで技術を習われたと思います」
そういえば、柏崎と佐渡には「お光と吾作」の悲話が語り継がれていますね。両地の関係も興味深いところ。 ※話がそれるので悲話の詳細はこちらを
「蝋型鋳金の技術は、佐渡と柏崎でいっしょに、新潟県の無形文化財に認定されています」
また、紫銅焼きというワザも独特です。
「鋳物を型から出して磨いた後に炭火で焼くんです。すると酸化した被膜ができます。火が強くしっかりと当たった部分は被膜がはがれずに残り、それをさらに磨くと赤紫色の模様が出てきます」
磨き加減で模様も変わってくる。そこに、作家の意匠があります。斑紫銅と呼ばれる銅器です。
「でも、その模様の出方は意のままになりません。どんな風景が出てくるか分からない、偶然の面白さがあるんです」
人間のちっぽけな力ではどうにもならないことが、自然界にはたくさんある。私たちがつい忘れがちなそんな当たり前のことを、斑紫銅は改めて教えてくれているようでもあります。
さて、銅の器は水やものを腐らせないと言われており、花の持ちもいいのだとか。昔の人たちの知恵です。
「私は椿が好きなので、冬は椿を生けて楽しんでいました。いろいろと生け始めると、けっこうハマりますよ。楽しむ余裕、ゆとりを持つことで、癒しになるんだと思います」
最後に、ふるさと応縁基金に期待するところは?
「第一に、いつも支えてもらっている『柏崎』に、貢献させていただきたい。次に、こうしたものがあることを知っていただき、癒しとしての良さも知っていただけたらと思います」
今井さんも一言、お願いします。
「私も、こちらの銅器を贈り物として利用させてもらっていました。基金云々のことだけではなく、お礼品の個々の魅力を伝えられればとの思いを、再確認しました」
ご多忙のなか取材にご協力いただき、ありがとうございました。
余談ですが、この地には古くから「ふいご祭り」が伝わり、11月には鋳物の神さまの『イシコリドメノミコト』の掛け軸を出してお参りするのだとか。面白そうな祭りです。見てみたい。
(GATAポスト編集・早見正明)